バセドウ病までの道のり

小学四年生で肺炎で入院
入院から数日後、両足ふくらはぎに激痛が起こりました。
CRPは高い数値だったらしく、小学生だった私には全く病名診断の理由がわからないのですが、当時は関節リウマチと診断されたようです。
中学生になる頃も、ずっと微熱と倦怠感が続くので、大学病院に1ヶ月、検査入院しました。
イヤな思い出です。
血液検査で血管が探し出せず、最後に医師まで血管を探しに来られ、一日に合計12回も針を刺されました。
最後には神経に当たり、ビリビリっと痛みが走りました。
結局、その日は血液検査できず。
30年前になりますから、当時の医療はまだ、そんな感じだったのでしょう。
血管がでないことは…ないんです。
違う病院でしたら、一回で血液はとれてました。
色々な検査をしましたが、病名はわからずに、関節リウマチの疑い、という診断でした。
それから20年ほど、原因不明の病と格闘でした。
現在もまだ、隠れ病があるかもしれません。
私は、どうしてこんなに体がきついのに、毎日、38℃前後の熱があるのに、パニック障害や、うつにもなり、それでも元気な健康な人と同様に働かなければいけないのか、自分の原因不明の病を恨みました。
なぜ、障害者として認定されないのか、それは、たまに生きるのをやめたくなるほどの辛さでした。
偶然にバセドウ病を疑い、発見してくださった先生には感謝してますし、バセドウ病と診断されたことで、『やっと病名がわかった…』という、喜び、安心感は今でも忘れません。
しかし、9年の治療でバセドウ病は安定しても、変わらずに微熱や倦怠感は続きました。
ある整形外科に検査と診察へ行った時に『体質ですね。』と言われたのが、本当の病名でしょうか、『体質』という病名、神様から与えられた試練。
バセドウ病で苦しむ方は多く、バセドウ病とわからないまま生活していた知り合いも、その苦しさに涙を流していました。
心ない方は『泣いてばかりいて弱虫』『若いんだから泣いてないで頑張らなきゃ』と言っておりましたが、私にはその方の苦しみが痛いほどわかるので、甲状腺の検査をすすめました。
『ありがとうございました、バセドウでした!』と安心した笑顔を見れたのも束の間、彼女はバセドウの薬であるメルカゾールが合わなくて、服用から3週間後、風邪に似た症状で高熱が出て、また、泣いておりました。
病院は、甲状腺の専門ではなかったらしく、メルカゾールの副作用について、彼女は何も知りませんでした。
医師の説明がなくても、薬剤師から説明があるはずなので、軽く聞き流したのかもしれません。
私は、緊急性があると思い、『メルカゾールの副作用かもしれないから、早く専門の病院に行って!命に関わるから!』
びっくりした彼女は、総合病院に行き、『副作用でした…白血球がかなり下がってました…』
こういった、メルカゾールが合わない患者さんも本当に可哀想です。
次に出された薬では、蕁麻疹の副作用、医者に『手術しかありません』と言われ、現在も、十分な治療ができないまま、一生懸命働いています。
彼女が勇気を出して早めにアイソトープか手術か選択し完治するのを願ってやみません。
そして私も30年の苦しみから開放される日がくることを願って、アイソトープ治療をして良かったと思える日がくれば…
それが、夢です。